osupureimaruのブログ

独学で難関大学の合格体験談

自意識過剰 コミュ障 社会学

私は現在大学生です。社会学を専攻しています。今回は現代の若者に多い悩み、コミュ障について、私自身のコミュ障の経験や考えを書こうと思います。
 まず、私は極度の自意識過剰で、はっきり言って病的なほどです。電車に乗っているサラリーマンやOL、学生や老人といったごく普通の一般的な人の振る舞いやたたずまいが私にはできないのです。つり革を持ってただじっとしたり、スマホや本を眺めたり、音楽を聴いたりすることができないのです。周りをキョロキョロと見まわしてしまう癖があり、挙動不審です。カメラの顔認識機能が私の目に備わっているのです。現に、電車内で「お前何メンチ切ってんだ?」と耳元で言われたときは怖かったですね。自分ではにらんでるつもりはなかったのですが、そう思われてしまったのなら私が悪いですよね。理由は自意識過剰です。「どこかおかしいんじゃないか」「笑われてないかな」と常に思ってしまうのです。頭おかしいです。直そうと努力しているのですが、なかなか難しいです。私の自意識過剰はコンプレックスから来ています。昔から人に容姿のことを言われると、かなり落ち込み、永遠と気にしてしまいます。例えば、でこが広いことです。これを小学生の頃からからかわれていましたので、今も引きずっています。現に中学生の頃は、散髪屋にも行けなかったほどです。髪を切ってもらうときに、でこを笑われたりしないかな、と不安に思ってしまい、行かなかったのです。
 では、コミュ障と自意識過剰はどう関わっているのか?コミュ障は治せるのか?といった問に対する自分のアプローチを話します。まず、私のコミュ障の場合、要因は三つあると考えています。
 一つ目の要因は、受動的コミュニケーションです。仲がいい友達と話すときは、苦も無く楽しくおしゃべりできるのに、そうじゃない人と話をするときは、相手に気を使いすぎて自分の思ったことが言えない。こういったタイプの人は多いんじゃないかなと思います。要するに、気を使いすぎて、人とコミュニケーションが取れない、楽しめない、本心でしゃべれない、居心地が悪いということです。私の持論では、コミュ障の人は優しい人なのだと思います。なぜなら、相手が傷つかないように、常に慎重に相手の心を思慮して会話するという受動的コミュニケーションをしているからです。
 二つ目の要因は、自意識過剰です。自意識過剰とは一体何者なのか?それは一言で表すと、自分に自信がないことから生じるものなのです。例えば、顔にニキビがあるとき、友達と自信をもって話ができなかったり、するのが嫌だったり。なにかコンプレックスが露わになっている状態ではコミュニケーションが取りずらいと考えてしまったりするのが普通です。そんな人はたくさんいるでしょう。しかし、それらは全部自分の思い込みです。こう思われたくない自分を勝手に相手から思われてると変換しているのです。他人はさほど人のことは気にしていません。とはいっても、気にしてしまいますよね。思春期ならなおさらです。
 三つ目の要因は、プライドです。これが一番やっかいです。私の場合、受験生の頃塾や予備校に行かせてもらえなかったので、塾に行っている人たちを下に位置付けて自分の価値を上げていました。頑張れば頑張るほど努力すれば努力するほど苦労すれば苦労するほど、自分はそうじゃない奴らよりも優れていると思ってしまい、本心でコミュニケーションできないんです。心を許したごくわずかな友達としか楽しく会話できません。それが私です。
 私という存在はこの三つから成り立っています。当然コミュ障です。しかし、コミュ障は治せます。考え方次第です。自分が変わらなければなにも変わらないということです。実際、私は変わる必要はないと思っていますが。。。必要最低限の人間関係だけで大丈夫です。コミュ障を苦しい思いをして治すぐらいなら、居心地のいいコミュニティーを見つけることのほうが、あなたの人生にとって有意義です。
 つまらない話を偉そうにしてしまいました。見てくれた方、ありがとうございます。